院長紹介
院長 白鳥 政之
昭和63年名古屋大学医学部卒業。静岡済生会総合病院で研修後、名古屋大学医学部大学院に進学、医学博士取得。聖隷浜松病院勤務を経て平成14年、浜松市恩地町に白鳥内科医院を開設。平成16年には医療法人社団 鴻鵠会を設立。
日本神経学会認定、神経内科専門医。日本内科学会認定内科医、日本頭痛学会会員、日本東洋医学会会員。頭痛、脳梗塞、パーキンソン病、認知症などを中心とする「神経内科」の啓蒙活動にも力を注いでいる。連続講座「アルツハイマーってなあに?」(浜松ビジネススクール)、講演「パーキンソン病の最新治療」(福祉文化会館)など。さらには毎月発行の院内報「くぐいだより」に加筆し、医師と患者をつなぐ小冊子「病院にかかって幸せになる人、ならない人」を発行。 読売新聞、中日新聞、日経新聞、静岡第一テレビなどで紹介される。
設立理念
患者様の幸福のために最善をつくす
私が、さまざまな困難に直面しながら、この理念に忠実に開業医を続けている理由をお話ししましょう。
■病院に関する、四つの「仕方がない」。
○ 仕方がない(その1)
お医者さんに聞いても、説明が専門用語でわからないし、言われたままの治療を受けるしかない。素人ながらも、自分の体に関することだから、これから先の治療方針に納得して、治療を受けたい。でも、質問に答えてもらえなかったり、おそるおそる聞いたのに、怒られることさえ、、、それでは、不安に思うことを、聞くことすらできない。
○ 仕方がない(その2)
高血圧のお薬をもらいに行くのに、今は、「仕事を休んで」平日に行くしかない。
○ 仕方がない(その3)
患者さんの家族のことにまで、お医者さんは関心がない。
○ 仕方がない(その4)
お医者さんは、自分の出身大学・病院で、患者の紹介先を選ぶ。だから、自分の病気やスケジュールにあった病院を、紹介してもらえない。重病でも、自分で囲い込んでしまい、治療が手遅れになることがある。
■白鳥内科医院の、非常識な開院動機
検査の結果を説明
白鳥内科医院は、このような「仕方がない」を減らそうと決意し、始めた医院です。
なぜ、一般的には「仕方がない」と思われることに対し、非常識な解決を、決意したのか?
それには理由があります。
■私の母
私の母は、高校教師でした。
父は、私が中学のとき、肺がんで早くに亡くなりました。もともと父は、子供の教育にはあまり関心がありませんでしたが、その後は一人で私たち姉弟を育ててくれたようなものです。
その母は、血圧が高く、ずっと降圧剤を服用していました。しかし、ある日を境に、病院に行かなくなってしまったのです。仕事と子育ての両立にも悩んでいたし、その上さらに、病院にいく時間を作るのは、あまりにも大変だったのでしょう。
当時の静岡に、そんなことを相談ができる先生はいませんでした。
その後、母は、私が名古屋大学に入学してからは、心の余裕ができ、また、そのころには退職もう、降圧治療を再び受けるようになっていました。 そんな安定した日々も束の間のこと。
私が名古屋にいたときのことです。
ある日、おなかが痛み出した母は、近くの開業医を受診しました。帝王切開のあとの癒着から腸閉塞になっていたのです。この先生は、ありがたいことに、夕方来院した母を、翌朝まで点滴をしながら預かってくださいました。翌日まで大病院に紹介せずに待った理由は、母が「手術は怖い」と言っていたし、「私の後輩が外科部長を勤めるK総合病院が、その日当番医ではなかった」からでした。しかし、腸閉塞は外科的緊急。翌日、総合病院の外科に紹介していただいたときには、すでに腸が壊死を起こしており、即、緊急手術となりました。しかし、もともと高血圧で心臓が弱っていた体には、負担が大きかったのでしょう。手術後数日し、急性心筋梗塞で、母は亡くなってしまいました。
「なぜ、開業医の先生は、母がなんと言おうと、その日のうちに紹介状を書いてくれなかったのだろう?」
私の母がかかった先生も、決して対応が悪かったわけではありません。でも、「ベストの対応」ではありませんでした。
その苦しみの中でたどり着いたのが、「病院で働くものは、患者さんや家族の幸福を真に思いやり、命を敬うのでなければ、本当の医療とはいえない」という考えです。
その思いが、今の私を支えているのです。